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浦和地方裁判所 昭和29年(タ)7号 判決

主文

原告と被告とを離婚する。

被告は原告に対して金十五万円の支払をせよ。

原告の爾余の請求を棄却する。

訴訟費用中四分の一を原告の負担とし、残余を被告の負担とする。

本判決は主文第二項に限り原告において金五万円の担保を供するときはかりに執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、原告と被告とを離婚する、被告は原告に対して金三十万円の支払をせよ、訴訟費用は被告の負担とする、との判決ならびに仮執行の宣言を求め、その請求原因として、(一)原告は訴外新井けさの媒酌で被告と昭和十二年十一月十六日内縁関係を結び昭和十三年一月十九日婚姻をした。(二)当時被告は肩書住所で煎餅加工販売を業としていたが、先妻きよが伝染病で死亡した直後であつたので営業も甚だ不振であつたが、その中にあつて原告は煎餅加工販売のほかに自転車預り、編物などの内職までして家運の挽回につとめると同時に、のこされた被告と先妻きよとの長男伊勢三(当時十一年)および三男(利雄当時一年六月)の養育にあたり、ほそぼそ貯蓄した金で伊勢三に岩倉高等工業学校を卒業させた。原告のこのような内助の功によつて被告の営業もたちなおり、原被告の夫婦仲も円満で比較的平穏な生活が十年あまり続いた。(三)ところが、昭和二十四年五月二十一日長男伊勢三に妻ハツを娶つてから家庭内に風波がたつようになり、被告は嫁ハツの言葉を信じて原告を曲解邪推し原被告の仲もしだいに円満をかくようになつた。そして原告はつぎのとおり被告のために暴行侮辱をうけた。すなわち(イ)昭和二十四年五月下旬三男利雄のことから長男伊勢三に殺すといつて酒の一升瓶をふりあげられたが、被告も伊勢三といつしよに原告をなぐつた。(ロ)昭和二十四年七月十日頃被告は伊勢三とともに、原告が信仰している月日教本部に被告の財産を全部もちだしてしまうと疑つて原告の財産調べをした。(ハ)昭和二十四年十一月十三日頃食事のことから「継母とはこんなものか」と伊勢三に食膳を投げとばされたが、その際被告は伊勢三に加勢して原告の襟首をつかんで土間にひきずりおろした上原告に撲るけるの暴行を加えた上原告が信徒から贈つてもらつた肖像画額入れ二枚を土間にたたきつけて破つた。その際原告は暴行をうけたため目がくらみ、顔面は腫れあがり手足に十数ケ所内出血がありしばらくは身動きができなかつた。(ニ)昭和二十五年七月十七日頃利雄が病気中なのに伊勢三夫婦が映画へ行つたのをたしなめたことから被告は伊勢三に味方して原告の胸倉をつかんで床の間にたたきつけた上原告を屋外につきだした。(ホ)昭和二十五年七月頃お米のあるなしのことから被告は原告の胸倉をつかんで床の間にたたきつけた上撲るけるの暴行を加えたので、原告はそのため胸部に全治数十日を要する損害をうけた。(ヘ)昭和二十七年二月一日頃、月日教信徒の配慮で別棟神殿ができて原告は被告の承諾のもとにそこに移り住むようになつたが、被告は伊勢三といつしよになつて神殿を焼きはらうなどと原告を脅迫した。(ト)昭和二十七年三月頃原告が出張から帰つて袴をたたんでいると、被告は「なにをぐずぐずしている」といつて原告にむかつてナタを振りあげたが、そのときは伊勢三に制止されてことなきを得た。(チ)昭和二十七年八月二十一日頃被告が神殿にねようとしたのを原告が拒んだことから被告は原告の顔面を手拳で十数回殴打した。(リ)昭和二十七年十一月頃信徒からもらつた梅干を被告が持ちだすのでこれを断つたところ、被告は立腹して原告の眼部を三、四回殴打した。(ヌ)昭和二十八年一月十九日頃もと下宿させていた学生が原告のところへ遊びにきていたことから、被告は神殿に土足で乱入して原告の左手をねじりあげて肩を撲つた。以上(イ)乃至(ヌ)にあげた事実はほんの一例にすぎないが、さような次第であるから原告はもはや被告との婚姻を継続することができないからここに離婚を求めるものである。(四)原告は被告と婚姻以来まさに二十年に達する永い年月被告等一家のために献身的の努力を重ねてきたのであるが、前記(三)にあげた被告の不法行為のために離婚のやむなきに至つたのであつて、これがため多大の精神的苦痛をこうむつたから被告に対して慰藉料として金三十万円の支払を求める。なお原告と被告とは互いに再婚で、原告は被告との婚姻当時は年令三十六才であり、被告は財産として時価九十万円相当の住家一棟および宅地二百二十八坪畑地六筆計約三反三畝時価合計約二百五十万円余を所有し、自転車預り業による一年間の収入約十五万円のほか、貸地の賃料農業所得等若干の収入をあげている、と陳述し、原告の主張に反する被告の主張事実を否認した。(立証省略)

被告訴訟代理人は、原告の請求を棄却する、との判決を求め、答弁として、請求原因第一項記載の事実第二項中被告に二子があつた事実および伊勢三が岩倉高等工業学校を卒業した事実第四項中原被告が互いに再婚であつて婚姻当時原告の年令が三十六歳であつたこと、被告が原告主張の不動産を所有し(たゞし時価は争う)自転車預り業を営み貸地の賃料農業所得若干の収入のあることはこれを認めるが、その余の事実は否認する、すなわち原告は被告と婚姻した当初から病弱で心臓が弱く神経痛等の持病があつたため十分家事もできない状態にあつた、ところ、昭和二十三年春頃信仰によつて病気をなおしたいというので被告もこれに賛成し、東京の十条に本部のある月日教(天理教から分離した新興宗教)の鴻巣支部に通い昭和二十四年春頃には被告方の居宅に自ら月日教の神棚を設け、参詣にくる人も追々増加し信徒もでき、附近の田舎の信徒廻りをするようになつた。ところがこれより先原告は月日教鴻巣支部に通うようになつてからしばらくして当時同支部長をしていた女性の小林某の内縁の夫のような関係にあつた関口嘉一郎(北埼玉郡川里村大字関新田、本妻をもたない)と懇ろになり遂に同人と情を通ずるようになつたが、その后田舎の信徒廻りをするようになつてからしばしば信者の家に外泊するようになつたが、これを口実にして関口のところに泊ることもしばしばであつたので、被告は原告に対してさようなことをしては家庭がこわれるから外泊をやめるよう懇請したが、原告は「自分は神様だから夫といえども自分の行動を制限することはできない」といつてこれに応じないで時には怒つて家を飛びだして二、三日戻らないこともあつたが、当時の原告の生活の一端をあげると、「自分は神様だから代用食はたべない」といつて家族のうち、原告だけ米食をし副食物の如きも別あつかいをし、あまつさえ夫である被告をそばへよせつけず夫婦とは名ばかりであつた。こえて昭和二十六年春頃原告は月日教鴻巣支部長になつたがその機会に被告方居宅裏に礼拝所をたてるといいだし被告は「居宅で十分まにあうから」といつて反対したが原告は「自分たち夫婦の隠居所としても使用し、ここに同棲する」といい信徒代表もこれを承知したので被告もこれを了承し、建物を被告居宅裏宅地内に建てることにしたが、原告はなに故か被告の反対を押しきつて居宅とは離れた裏畠にこれを建築した。そして完成したのが昭和二十七年一月中のことで同年二月一日落成祝いをしたが右建築費は約三十万円で内十万円は信徒の寄附によるが残り二十万円は被告の出損によるものである。しかるに原告は建物落成と同時にその建物に移りすみ、この家は自分の家だからきてはならない」といつて被告が同所に寝泊りすることを禁じ、それに従わなければ住居侵入で被告を告訴するなどと脅し「自分は神様であつて、お前の妻ではない」と公言し、原告自らは女中を雇つて別の生活をはじめ同所を月日教鴻巣支部として現在に及んでいるが、それいらい関口との関係は一層密接となり関口は常に原告を訪ねては夜半まで滞在し、被告は両者の密通の現場を目撃したこともあるくらいで、目と鼻の間にあつてその痴態を見せつけられ憤懣やるかたない心情である。右のような実情にあるのであるから、非はむしろ原告にあるから原告は被告に対して離婚請求権をもたない。なお原告は昭和二十七年九月十一日前記新築建物について原告名義に保存登記をした。また被告所有の建物の時価は約十万円、宅地は坪五百円乃至八百円、畑地は一反約五万円程度であり被告の自転車預り業による収入は一年約八万円程度である、と述べた。(立証省略)

理由

成立に争のない甲第一号証の記載、証人新井ケサ、小室ちよ、松永敏夫、大谷敬造、山下忠治郎、関口忠久、福田新市の証言および原告本人訊問の結果を綜合すれば、原告は訴外新井けさの媒酌で被告と昭和十二年十一月頃内縁関係に入り昭和十三年一月十九日婚姻したが、当時被告は肩書住所で煎餅加工販売業を営んでいたが、先妻きよが伝染病で死亡したことのために営業も甚だ不振であつた中にあつて原告は懸命に働き自転車預り編物などの内職までして家運をとりもどすことに努力した結果僅かながらも貯金ができるようになつてその金で被告と先妻きよとの長男伊勢三に岩倉高等学校を卒業させその間原告は健康を害したため信仰によつてこれを回復しようとして被告も賛成して昭和二十三年春頃月日教の信仰に入つたりして原被告の夫婦仲も円満で何ごともなく十年あまりを過したが、昭和二十四年五月二十一日長男伊勢三に妻ハツを娶つてから間もなく姑である原告と嫁のハツとの間にいさかいを生ずるようになり、その頃原告が信徒まわりでときおり外泊することなどあつたのを嫁のハツが何かと蔭口を被告に告げたりしたので被告はしだいに原告の行動を疑い夫婦仲も円満をかき、ささいのことにかんしやくを起して原告に暴行を加えるようになり、被告は原告に対して原告が主張する(イ)乃至(ホ)(チ)(ヌ)のような暴行傷害を加えた事実を認めることができる。右認定に反する証人北岡伊勢三、北岡利雄、北岡ハツの証言部分および被告本人訊問の結果は前掲証拠に照らして措信できない、被告は原告が不貞の行為をあえてし被告との同棲を拒んだ旨るる述べるところがあるので考えるのに、証人北岡利雄の証言および被告本人訊問の結果によれば、原告は月日教の信仰に入ると間もなく信仰の関係から訴外関口嘉一郎と知りあい関口はときおり原告を訪れては夜おそくまで時を過すことなどあつたこと、および原告と関口との関係が世間の噂にのぼつていたことが認められ、このことは一層被告の神経を刺激したことは推察することができるけれども原告と関口とが不浄の関係にあつた点についてはこれに副う証人北岡利雄の証言部分および被告本人の供述部分はにわかに信用することができず他にこれを認めるにたりる証拠はなくむしろ原告と関口との関係の世間の噂の如きも前段認定のように嫁ハツの蔭口を信じて被告自らが原告と関口との関係を邪推して原告を責めたことにその原因が存することが窺われる。また、証人北岡ハツの証言および被告本人訊問の結果によれば被告は昭和二十七年二月一日に神殿に移り住むようになつた后被告が同棲を求めてもこれを拒絶して被告が神殿に寝むことを禁じた事実が認められ右認定に反する原告本人の供述部分は措信できない。以上認定のとおりであるから被告が原告に対して前段認定の暴行等を加えたのは原告と関口との関係によるとしてもそれは単なる邪推によるものであるのみならず、かりにその関係が被告の主張するとおりであるとしてもそのことは僅かの程度の被告の暴行は許されるとしても被告が前段認定の程度の暴行傷害を原告に加えた以上被告も原告に対し離婚請求権をもつ原因となるは格別被告のなした前段認定の暴行傷害の行為について離婚原因たることを阻却するものではなく、また、原告が被告との同棲を拒否した事実についても同様のことがいえる。

以上認定のとおりであるから被告が原告に加えた前段認定の事実は民法第七百七十条の第一項第五号にいう婚姻を継続し難い重大な事由にあたるものであるから原告は被告に対して離婚請求権を有するものである。

つぎに慰藉料の請求について考えるのに、本件離婚が被告の行為に基因すること前段認定のとおりであり、原告は離婚によつて精神上の苦痛をこうむつたことはまさに当然であるから被告は不法行為者として原告が離婚によつてこうむつた精神上の苦痛を慰藉する義務がある。そこで慰藉料の額について考えるのに、原告が婚姻后一家のためにつくしてきたこと、と本件離婚原因がいずれも前段認定のとおりである事実原被告がいずれも再婚であること、原告が婚姻中信徒の寄附および借入金によつて建坪十七坪の神殿一棟を建築所有すること成立に争ない乙第一号証の記載および原告本人訊問の結果によつて認められる事実(右認定に反する被告依用の証拠は措信できない)被告が財産として住家一棟および宅地二百二十八坪畑六筆約三反三畝を所有しそれに被告が自転車預り業を営み外に貸地の賃料農業所得若干の収入によつて生活をしていること当事者間に争ない事実などを綜合して考えると被告が原告に対して支払うべき慰藉料の額は金十五万円をもつて相当とする。

よつて原告の本訴請求は被告に対して離婚を求める部分および前段認定の慰藉料の支払を求める限度において正当であるからこれを認容し、爾余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条第九十二条、仮執行の宣言について同第百九十六条の規定を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 岡岩雄)

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